2011年04月28日

「あの日」と「猫」 <その1>

あの日から1ヶ月半が過ぎて、自分の住む影響の少ない地域は、本当にいつも通りの、普通の毎日が過ぎていってる。

何も大きい出来事も無く、毎日働いて、休日にゆっくりして・・・そんな繰り返し。
でもそれがすごく贅沢なことなんだなーーと、身にしみて思う。
何か協力出来ることはしたいけれど、自分に出来ることは募金くらい。
会社的にも大々的に行動に移してくれているので、正直助かってるところもある。
(今もポロで・・2枚で・・・・・宣伝です。スミマセン。)

だからなんだと言う訳でもないけど、忘れたくないから、忘れないうちに書いておくことにする。


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 3月に入って、一つ変わったことが起きた。
息子が毎日必ず、私の兄のことを気にする。
 「今度はいつ来るのかなぁ?」「今、何してるの?」
 「どこにいるの?」「早く会いたいね」
そんな事を言っていた。
けれど、私は特に何も気にせず、年に3回帰省してくる時を楽しみに待っているんだなーと、思っていた。
現に、息子は私の兄(伯父)のことがとても大好きで、特に乗っている車(プリウス)が一番のお気に入り。
帰ってきた時に、車に乗せてもらったり、肩車してもらったりと、向こうの子供達と同じように面倒みてもらっていた。
 ただ、そんな風に思っていた日常に、それは突然やってきた。


 3月11日。
私はいつもお昼から仕事の出勤なのに、珍しく夕方からという不思議なシフトで、居間で母とくつろいでいた。
 「あれ?なんか揺れてない?」
私がそう言って立ち上がると、激しくはないけれど酔いそうなくらいの揺れがきた。
地盤的にいつもあまり揺れを感じない自宅の1階で、これだけ揺れるってことは・・・・
そう思うと直感で、どこか遠くでとんでもない大きい地震がきたんだ。と、そう感じた。
次第に揺れは大きくなり、時間も長かった為、とにかく上着を着て携帯を持ち、家のドアをすべて開けて、玄関を出た。
目の前の木や電線が大きく揺れていた。
周りを見渡すと、空は鳥達が多く飛んでいて、木の葉のざわざわと擦れ合う音だけが聞こえていた。

 一度揺れが収まって家の中に入ろうと思った時、自分の視界がまだ揺れていることに気づいた。
 「待って、まだ揺れてる。長い・・・」
そう言って一緒に外に出た母の方を見ると、
 「えらいことだ!!」
私と同じようにどこかでの巨大地震の発生をを感じた母は一言いって、家の中へすぐに飛び込んでいき、TVをつけた。
最新の情報を待つその間、東京近辺での発生を真っ先に予想した私は、携帯で某人にすぐに電話した。
物が沢山落ちたけど、とりあえず怪我はないとのこと。
ホッと一安心すると、また揺れだした。
外へ避難するから…と、電話を切った。

 TVで震源地を見るなり、様々な人の事が頭をよぎる。
一番は、茨城に住む兄家族のこと。
特に兄の勤め先の学校は、茨城の北に位置する。
福島・栃木・宮城の友人たちに、メールを送った。
けれど、数人送ったところで、送信できなくなってしまう。
この瞬間から、兄とも、兄の家族とも連絡が取れない状態になった。

そして、最近やたらと息子が兄のことを心配していた理由が、少しずつ解ってきた。



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すみません。
時間的に遅くなってしまったので、、、また、、つづく。

           
posted by 向夏 at 02:47| Comment(3) | TrackBack(0) | 今日のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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